剣士と獣3


自宅に帰りついて早々、玄関先で尻尾をぶんぶん振りながらハロが飛び掛かって来た。よしよしと首周りを撫でながらハロの大きな体を見渡す。

 昔に比べると随分大きくなったもんだ。俺が成長するにつれてハロも成長し共に歳を重ねてきた。振り返ってみれば家にいる間はハロと一緒に過ごしている時間のほうが長かった気がする。浅薄に覚えている記憶を辿っても頭の奥から湧き出てくるのはハロとの思い出ばかり。これだから家族との口数が減ったのかも知れないが、家族が引っ込み思案なのだから仕方ない。

 物思いにふけっているとハロは真っ先に俺の部屋へと駆け出した。犬としてはかなり老いているというのにその足取りは年齢を感じさせないものだった。

 ハロは戸を開けて部屋に入り、ぐるぐると歩き回る。俺は荷物を置いてから軽く身支度をすると再び玄関へ向かった。待ってました、と目を輝かせてそわそわするハロを横目に、靴箱からつかみ取った日常用の靴を履く。

「慌てなくても散歩には連れていってやるよ。」

 リードをつけ終えた俺はハロの頭を軽く撫でハロと共に家を出た。



 いつもと同じ散歩コースを無言のままひたすら歩く。と、その途中ハロが落ち着かない様子で一つの方向を見ていることに気がついた。ハロは尻尾を高く喜ばしげに振って俺に意思表示をする。ハロの眺めている先はテインの家だ。ハロの様子からするとテインは今外にいるのだろう。ハロも会いたがっていることだし、たまには道程を変えてみるのも良いか。そう思って、道の辺の角を曲がりノルジスト家の大豪邸へ足を進めた。



 テインの家の近くまで来ると、周囲の住宅地を轟かせる甲高い音が聞こえてきた。弾ける金属音はノルジスト家の庭から響き、俺の心身を貫く。競争心が体中を駆け巡るのをにわかに感じて剣を持ってきそびれたことを悔やむ。だがその衝動もつかの間、俺の目に飛び込んできたのは呆気なく力負けするテインの姿だった。

「…ハッ…ハ…!」

 息を乱したまま自らの兄に切り掛かる。けれども自分より明らかに体格の良い兄を押し返すことも出来ずただ弾かれては振り回されてばかりだった。よく見ると彼の頬や手の甲には無数の切り傷が見られ、汗と血が滲んでいる。俺が来るだいぶ前から練習していたのだろう。帰宅直後に始め、休むことさえ許されなかったはずだ。それでも必死に食らい付くことをやめないテインに、俺は僅少ながら申し訳なさを感じた。道場での勝利が彼に無理をさせているのではないか、そう考えずにはいられなかったから。だが、彼が俺から勝利を奪おうとする意志を持っていることは何よりも嬉しく思えた。

 気力が尽きてきたのか、不意に振り返ったテインが俺に微笑を向ける。それを合図に、無駄に大きな門を開けてテイン達の敷地内に入った。

「リュオン、今は取り組み中だ。」

 真っ先に俺を敵視して声をかけてきたのはテインの兄であるカインだ。テインに煩く言っている割にはひそかにブラコンだったりしてなかなか面白い性格だけれど、残念なことにテインからは嫌われている。到達度に適した練習をさせないからそうなのだと伺えるのに、カインは全く気づいていないらしい。そんな可哀相なカインを解らせるべく、俺は水を差すように言葉を返す。

「少しは休憩を挟んでもいいだろう。テインだって疲れている」

「む、確かに。…それなら、暇潰しに付き合ってくれないか?」

 ぐてぇっと地べたに座り込むテインをちらりと見てカインは予想外のことを口走った。その瞬間、ほのかに燈っていた俺の火が炎熱へと変化を遂げた。戦ったことのない相手、かの名誉を貫く三代目候補と対峙できるなんて。相手が相手なもんだからと、人には言い難いが今の俺は誰よりも嬉々として胸が弾んでいた。しかもその場は絢爛なノルジスト家の庭、これほど贅沢な戦いをこれまでやったことがあるだろうか。

 突然の成り行きに、うかうかしていられない、と気を引き締めるやいなや俺は冷静さを気取りつつカインとの勝負を受諾した。

 テインの愛用の剣を借りてカインの眼前に立つ。改めて正面からカインを見ると彼はいつも見るよりかは少しだけ大きく見えた。勝負前から精神を集中して向けられるその眼差しは鋭く、迫力がある。そのうえ広い庭を飄々と吹き抜ける風に煽られ彼の気迫はよけいに際立っていた。

「そろそろ攻撃してもいいか?」

 黙ってカインの様子を見ていた俺はついにその言葉を口にした。「いつでも来い。」そう告げられた瞬間に俺の足が軽いステップを踏み、カインの懐に突進する。カインは俺の動きを読んでいたらしく剣の腹で軽く弾き返される。存外にもカインの力は強く、テインよりも体格の大きな俺ですら力で彼には通用しない。二度三度と同じ攻撃を繰り返してもカインの返し方は変わらなかった。

 それを見越し、俺は自分を染め上げるようにステップの調子を変化させた。だんだんとリズミカルになってゆくその動きは急速な躍進を遂げた。その状態でカインに攻撃を試みると、以外なほどカインの抵抗が感じられなかった。飛躍する俺に、カインは自分の攻撃の隙が見えなくなったらしく、焦りの色が見え隠れする。先ほどとは大きく変わって明らかに俺が有利な立場だ。

 蹴りをつけるため、テインとの勝負と同じように相手の剣の下に自らの剣を回して振り上げる。するとカインの剣が高々と上がり、俺のほうへ降下してきた。跳んでカインの剣を掴み、着地した瞬間、俺は軽いステップで方向を合わせ両手で剣を構えた。双剣状態のままわざとカインに寸止めをして見せると、カインは憎らしげに俺を眺めていた。

 テインも見つめるその戦いは勝っても勝鬨をあげる程まで至らなかった。むしろ、こんなものかと人を見下すような冷たい視線をカインに贈ってしまった。いくら名剣士に勝ったからと言っても、こればっかりは満足できない。もう一度、勝負できるのなら再び決着をつけたい。けれどプライドを折られたカインに明らみは見られず、カインは黙って家の中へと入っていった。

「また兄貴は…。」

 ため息を吐いて寄ってくるテインは呆れ果てた表情を示していた。弟に良いところを見せたかった兄の一心なんぞ解るはずないのだろう。

 

俺は剣の刃を鞘にしまうと、剣をテインへ返した。

 


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