第1話 いじめっ子

 

 

 

 朝の心地よい日差しがちらちらとまぶたを透かし、その奥の眼へ仄かな光が届く。暖かい光に朝を教えられ目を覚ますと、カーテンの隙間から淡い明かりが優しく降り注いでいた。

 

…もう朝だ…。

 

大きなあくびを一つして辺りを見渡す。いつもと変わらぬ風景の中、ベッドの下に転げ落ちて寝ている人物に気づいた。寮のルームメイトの稀崎梨紅人だ。この学校は全寮制で基本的には男同士と女同士で部屋割りされている。梨紅人は晴哉より2つ年上でかなりの長身、銀の長髪に切れ長の紅い目という、少し変わった外見である。外見に反して学校では首席の成績を持ち、性格も穏やかだ。比較的顔も良いほうで、学校で知らない人はいないほどの人気者だ。

 

それにしてもベッドから落ちても起きないとは、よく寝ているものだ。そう思った途端、彼は勢いよく起き上がり一言叫ぶ。

 

「いってぇ~っ!いつの間に頭打ったんだ?」

 

…いつの間にって、ベッドから落ちたときでしょう。

 

学校に入学した当初は、こんな寝相の悪い人が首席と聞いて晴哉は驚いた。晴哉と梨紅人は10年ほど前から知り合いで、梨紅人からは兄的な立場としてよく面倒を見てもらっている。彼のすることはなんでも魅力的で面白く、幾度と無く心を踊らされた。昔は彼の為すことが優れていても「年の差」のせいだと解釈していた。それが人間として優れていたなんて、思ってもみなかった。彼の自由人的な印象からも優秀な生徒には見えないのだが、中身は案外真面目で教えるのも上手く、最近では首席でもおかしくないと思えるようになった。

 

さらに加えて、梨紅人は性格上、人当たりが良い。他人とは決して比べものにならないくらい優しく、いつも晴哉のことを気遣ってくれる。

 

「あ、晴哉起きてたのか!おはよう、今日は自分で起きられたんだな」

 

「うん、時間をかければ起きられないこともないから」

 

「そうか、 起こしてあげられなくてごめんな」

 

晴哉の右腕は動かない、痛みすら感じない。その理由はこれまで2度も竜に襲われたことにあった。

 

物心ついてすぐの頃、当時、晴哉は父と共に任務の旅をしていた。子連れだということもあり、あまり危険な任務は遂行していなかったのだが、ある時、想定外の事態が起こった。普段は大人しいはずの竜が急に襲いかかってきた。晴哉は父が庇ってくれたおかげで何ともなかったものの、父は犠牲になりその場で命を断つことになった。

 

それから十数年の月日が経ち、晴哉が竜術士の学校に入って自分のパートナーとなる"リュウ"を探さなければならない時期に差し掛かってすぐの頃、二度目の危機が訪れた。学校付近の山に竜がいると聞きつけた生徒らに推され、晴哉は山の中に入って行ったのだが、そこでも竜が突撃を仕掛けてきた。右肩を噛まれた晴哉は、竜の牙の毒に神経を遣られて右腕は動かなくなった。それがつい最近の話で、梨紅人は自分のせいだと責任感を感じているらしい。もとの原因は別にあるというのに。

 

「梨紅人、ありがとう」

 

「…っ何だよ、そんな改めて言われると照れるじゃん」

 

  突如言いたくなった御礼を口にすると、梨紅人ははにかむように笑った。そこへ、相棒のラルドが不満そうに姿を現した。彼は鮮やかなエメラルドグリーン色をした子供の竜で約12歳。昔、晴哉が見つけた仔竜がそのまま懐き、今ではパートナーとなっている。ラルドは電気技が得意だが、空を飛ぶことはもちろん、炎を吹くことだってできる。寮の中では大きい体だと邪魔なので、手頃な、両手で抱きしめられるくらいのサイズで出現する。とても可愛らしいのだが、彼には難点があり、何故だか晴哉以外には懐かない。今日もいつものように梨紅人を睨み威嚇している。

 

「ギャースギャース!!」

 

「怒るなよ、何もしてねーって」

 

人間の言葉は通常の姿でないと話せないのだが、怒っていることはとてもわかりやすい。梨紅人はまたか、と言わんばかりの困惑顔でラルドを落ち着かせた。

 

 

 

完全に明るくなり、そろそろ生徒たちが登校の準備を始める頃、晴哉は他の生徒よりも一足先に学校へと向かった。

 

 ここは竜術士を育成するために設立された学校だ。およその生徒が一般的な高校生と同じ年齢だが、少し年上の若者が稀に在籍することもある。他の学校との違いは専門性があることの他、近くの大きな街にある竜術士の事務所に直接所属することが可能となる点だ。近年、生き物の不審な動きが目立つようになったことから竜術士の需要が高まり、この分野の学校ができたのだが、危険性も高いためその数は片手で数えるほどしか存在しない。それだけ珍しい学校なのだ。

 

白灰色をした石材の壁にある、強暴な生き物が暴れたと思われる傷を横目で見ながら、階段を駆け上がり、廊下を歩く。少し重たい教室のスライド式のドアをガラッと開けるとそこには、いつもの杜撰な光景が目の前に広がっていた。

 

「はぁ...ほんとに懲りないなぁ...。」

 

教室の綺麗に並んだ机のうち晴哉の席だけが大胆にひっくり返っている。晴哉は白鳥健矢というクラスメイトから卑劣な嫌がらせを受けているのだ。毎日毎日、朝は机がひっくり返っているし、授業中にものをぶつけて来るし、反感を買えば暴力的な行為に走る。時には、健矢の相棒の白蛇、シュラからも悪戯をされる。

 

この前、先生にチクって叱られたはずなんだけど、おかしいな...

 

嫌がらせの状況を周りに広めないよう態と早く登校していることを、彼は知っているようだ。成績は悪いのに悪知恵だけはよく働く。机を元に戻すと、タイミングを見計らっていたかのように耳障りな声が響いた。

 

「よう、晴哉。」

 

背の低い晴哉を貶すように態と腰を曲げて手を差し伸べる。これは課題の答えを丸写しする為に差し出した手だ。早く貸せよ、と煽ってくる彼に殴りかかりたくて堪らないのを、じっと我慢して課題のノートを差し出した。

 

「へっ、ありがとな。」

 

「うわっ!」

 

健矢は晴哉を肘で突き飛ばし、貸したノートを自身の机に投げたかと思えば悠々と教室から去って行った。噂だと、彼は良い家の出だと聞いているが、ものの扱い方や考えることは下品で、育ちがいいとは微塵も感じない。唯一そうだと思わせられるのは容姿くらいか。艶のあるウェーブがかった綺麗な金髪に、澄んだグリーンアイ。ガタイが良くて、晴哉を片手で持ち上げられるくらい力が強い。身長は梨紅人ほどには及ばないものの、180近くはありそうだ。さぞかし良いものを食べていたのだろう。

 

晴哉は気だるそうにのそのそ起き上がって着席すると、むしゃくしゃした感情のまま机の端に小さな落書きをした。

 

“健矢のばーーーーーか(・ω・)

 

 

 

授業開始を告げるチャイムが鳴り、教科書やノートを出して先生が来るのを待つ。クラスメイトがご近所さんとのお喋りを始める中、何も考えずぼ~っと過ごしていると後ろから少し弾力のある物が頭に当たった。しばらくしてからコンッという音と共に先程と似た感覚が頭上を走る。先程と比べて力が込められていたらしく晴哉は思わず「痛っ」という声を上げていた。続いてバコッという大きな音が響き、頭部から先程よりも強い痛みが広がった。

 

痛いな!もう...

 

もう我慢はできない、と後ろを振り向くと健矢がざまあみろとでも言いたげに笑っていた。腹を立てた晴哉は足元に転がる二個の消しゴムと一冊の文庫本を拾い上げ、健矢を目掛けて投げた。

 

「うおっ!!」

 

  頭ではないが文庫本が当たって、仕返し成功、と小さく拳を握り健矢から目を逸らす。今の健矢がどんな顔をしているのかなど見当がつく。恐らく、誰が見ても怒り心頭がまる見えだろう。多少の恐怖を抱えながらも、健矢に仕返しができたことが晴哉には満足だった。

 

健矢とのしょうもないやりとりは朝だけで終わり、その後は何事もなく過ごすことができた。日差しは既に緋色へと変わり、学校の外は寮へと流れていく生徒や、グラウンドを駆け回っている疲れ知らず達がちらほらと見受けられた。

 

晴哉は教室の椅子に座ってそれをしばらく眺めていたのだが、不意に足元から違和感を感じた。驚いて足元に目をやると、そこには大きな白蛇が、足に絡みつきながら晴哉の顔を興味津々な様子で見つめていた。一気に血の気が引いた晴哉は、恐怖のあまり椅子ごと大胆に転倒した。そんな晴哉のことなどお構い無く白蛇は徐々に顔の近くへと絡みを進めて行く。

 

「ひっ...来ないで...!」

 

ジタバタと動くのも危険な気がして、されるがまま肩のあたりまでぎゅうぎゅうと締め付けられる羽目になった。何故、攻撃してこないのか、と疑問に思ったところへ奴が現れた。

 

「情けねぇ声出しやがって…お前、可哀想なくらい弱虫だな」

 

聞き覚えのある嫌な声。白蛇は彼のリュウだったか。晴哉はすぐさま眉間に皺を寄せ、声を投げかけた。

 

「実習じゃないときにリュウを利用するのは禁止じゃなかった?」

 

「知ったことか。それよりお前、授業の時に俺に物をぶつけただろ。そのお返しだ」

 

「先に投げてきたのはそっちだろ」

 

「うるせぇ!お前に物をぶつけられたことに変わりはねぇんだよ!」

 

途端に健矢は目の色を変えた。勢い良く顔面を蹴られ、みっともない姿を際立たせるように鼻血がたらりと流れる。それを拭えるはずもなく、続けて胸倉を掴みあげると眼前へと顔を寄せた。白蛇が乗っているというのにそれをも感じさせないほどの馬鹿力。おまけに普段から眉間に寄せている皺が、いつもより間近で見えるとそれなりに迫力がある。

 

「また物ぶつけたら今度は殺すぞ」

 

健矢は目を細めて睨むと晴哉を机の並んでいるほうへと投げやった。身体が物と衝突する寸前に白蛇は消え、ダイレクトに机や椅子へと叩きつけられた。痛みで悶えてる間に健矢は颯爽と帰って行った。

 

 

 

ぼーっとしたまま数分経った頃、横たわっていた身体を起こし教室を見渡した。机や椅子がごちゃごちゃと倒れている。その様子は数分前にこの場所で起こった出来事を物語っている。片付けないと、クラスにばれたら面倒だ。バタバタと教室を元の状態に戻して軽く顔を洗った後、遅くなってしまった、と少し急ぎ足で階段を駆け降りた。

 

寮の部屋に戻ると、机に向かっていた梨紅人がこちらに顔を向けた。彼は晴哉の小汚い制服に目をやるなり何かに気付いた様子で口を開く。

 

「晴哉、喧嘩でもしたのか?」

 

「いや、クラスの人と揉めただけだから梨紅人は気にしなくていいよ」

 

必死に誤魔化そうとした。だが、梨紅人の視線は明らかに晴哉の顔の傷を捉えていた。少し黙ったあと梨紅人は真っ直ぐ向かい合わせになり、おたおたする晴哉に真剣な眼差しを向ける。

 

「晴哉、嘘はつくな。正直に話せ。」

 

ビクリと背筋が伸び、冷や汗が額にじわりと浮かぶ。わかったんだ、と薄々がっかりしながら放課後の出来事を顧みる。あまり言いたくはなかったけれど、一度言い出した梨紅人は歯止めが効かない。だから正直に全て話すことにした。話を進めていると、聞いている梨紅人の表情が徐々にしょんぼりとしていく様子が目に入った。話を終えると彼は呆れてため息をひとつした。

 

「そんなことはすぐ言えよ」

 

「ごめん、梨紅人が心配すると思って……」

 

「言ってくれないほうが心配するよ」

 

「ごめんなさい」

 

「そんなに謝らなくていいから、話してくれてありがとな」

 

少し微笑んで梨紅人はそう言った。その表情からも彼の優しさをしみじみと感じた。彼は、いつも本当の兄のように気にかけてくれる。一方、晴哉は梨紅人を頼りすぎだ。だからって今からどうにか出来るわけじゃないから梨紅人のお説教を聞いているのだろうが。何も出来ない事実が心に深く刺さる。

 

梨紅人は改めていつも通りの口調で話を進めた。

 

「お前を酷い目に遭わせた奴はお前の右腕のことを知らないんだろ?」

 

「うん、多分…」

 

 正直なところ、健矢が晴哉の右腕のことを知っていてもおかしくはないはずなのだ。何故なら、彼に推されて行った先で竜に襲われたのだから。襲われたこと自体は事故だったが、彼から嵌められた事実に変わりはない。梨紅人は続けた。

 

「それ、黙っていたらいつか殺され兼ねないぞ」

 

「殺される…っ!?」

 

驚愕のあまり一瞬何を言われたのかが理解できなかった。確かに「殺す」と言われた記憶はあるが、ふざけて嫌がらせをしてくるだけの健矢がそこまでやるだろうか。梨紅人が言うのだから、偶然そうなるだろうという予測かもしれない。

 

教室で起こった出来事を思い出すと、僅かに身体が震える。だけど同級生の暴力ぐらいでへこたれてはいられない。世の中には本気で殺し合いなんかやっている連中がたくさんいる。晴哉も死を覚悟する世界に飛び込むのだから自身が護身術を覚えるしかないのだ。それなら、目の前にいる優等生の協力が不可欠だ。

 

「梨紅人、お願いがあるんだけど」

 

「何だ?」

 

「護身術を教えてもらえないかな?」

 

「…それは、俺なりの護身術でもいいのか?」

 

「うん。教えやすいものでいいから。」

 

梨紅人は目をつむって数秒考えた後、決意を固めた様子で笑顔を向けた。

 

「わかった、任せろよ」

 

「ありがとう」

 

ひとまず晴哉は安心を得ることができた。

 

 

 

「……哉…、晴哉!起きろ!」

 

梨紅人の声で目を覚ました。窓の外を見ると、外はまだ日が昇っておらず、夜なのかと思うぐらい暗闇に包まれていた。そんな中で梨紅人は妙に気合いが入り、既に着替えまで済ませてしまっている。

 

「こんなに早くからどうしたの?」

 

「護身術を教えるんだよ」

 

「今から!?」

 

「早めに教えないと、晴哉がまた怪我をするだろう」

 

そこまで心配しなくていいんだけど…。

 

元はと言えば晴哉が仕返しをしたから痛い目をみることになったのだ。普段は少し迷惑なだけで特別急ぐ必要はない。けれども今のやる気満々な梨紅人にそんなことは言えなかった。

 

急いで支度を進め、梨紅人と、今は小さくなっている相棒の竜ラルドと共に寮の正面に出た。タイミングを見計らっていたらしく、横から白閃光が差し真っ暗で何も見えないくらいだったその場所が一気に明るみを帯びて、足元の雑草が、青々とした色味を見せた。梨紅人の相棒であるフェルの神々しい登場だ。フェニックスのフェル、俗に言われる不死鳥。その姿は、常に白光を帯びていて少し眩しいくらいだ。長くて美しい尾を華麗に煌かせ、きりりとした目つきは初夏の若葉のようなみずみずしい緑色をしている。通常であれば目を奪われるほど美しくその姿を見ると感動せずにはいられないのだが、晴哉は彼女が苦手なためそんな思いは全く持ち合わせていなかった。

 

「おっはよー♪今日は早いのね☆」

 

フェルは、光と炎を扱うことが得意だ。フェニックスは比較的高貴な生物として扱われているため、梨紅人のようにフェニックスを連れている竜術士は珍しいのだそう。いつどこでどうやって知り合ったのか、聞いても教えてくれないため二人の関係は謎だ。

 

フェルは晴哉がお気に入りで、会う度に晴哉を眺めてはニヤニヤする。もちろん、今回も。毎回となると流石に気持ち悪い。だから晴哉はフェルが苦手なのだ。梨紅人が軽く叱ると、フェルは一瞬だけプンスカ腹を立てたが、何事も無かったかのように態度を変えて催促した。なんともおちゃらけた神様だ。

 

「フェル、頼むぞ」

 

「イエッサー♪」

 

行く先を見据えたフェルが翼を大きく広げると、煌々と光が集まり辺り一帯が激しく発光した。眩しくて目を閉じると、あっという間に浮遊感に包まれた。

 

 

 

気がつくと、晴哉達は砂浜に立っていた。

 

「また光で移動したんだね」

 

「あたしのおかげ☆」

 

フェルが得意気に胸を張る。改めて辺りを見渡すと、海が遠くまで続いていて、少し強い潮風が波の穏やかな音を奏でている。まだ陽が登る前なので暗いのには変わりないのだが、月明かりが砂や水面に反射して微かに明るさを含んでいるようだ。波がキラキラと輝くのはとても綺麗でついつい見とれてしまう。

 

砂浜一帯を見渡すと、ずっと先の所に人影と犬のような生き物がいることに気がついた。こんな時間に一体誰がいるのだろう。これから護身術を教わると言うのに晴哉は好奇心を抑えられず、影のいる方向に走り出した。

 

近付いてみると、茶髪の緩やかなくせっ毛を耳元で二つに結った女の子が地面に何かを描いている。そのまま声をかけようとしたが、彼女の隣にいるのが犬ではなく銀の狼であることに気づき、走っていた足へ急ブレーキをかけた。

 

「うわぁぁ~っ!!狼だぁ!!」

 

「待って!」

 

逃げようとした足を止めて振り返ると、彼女はニッコリと微笑んで晴哉のほうを向いていた。起立しているその姿は、誰もが目を引くような母性あふれる女性らしい体つきだが、背が高く、すらりとした印象を与える。思わず目を奪われている最中、彼女は晴哉の近くへと歩み寄る。

 

「この子は人を襲ったりしないから大丈夫よ」

 

 狼は晴哉の顔を見てこくりと頷いた。

 

「ねっ」

 

彼女はまた微笑んだ。

 

「晴哉―っ!!」

 

「え?」

 

彼女は晴哉の背後から駆けてくる梨紅人の姿を見て驚いた様子を見せる。

 

「美夜!」

 

「梨紅人!」

 

二人はお互いに驚いた顔をしている。梨紅人は美夜と呼ばれた彼女と知り合いらしいし仲がよさそうだ。何故だか、二人とも少し慌てた様子だ。

 

「美夜!どうしてここに?」

 

「それは私の台詞よ。こんな時間に何してるの?」

 

「俺はかわいい後輩に護身術を教えに来たんだ」

 

「後輩?」

 

「そう、俺のルームメイトなんだ。名前は晴哉。で、こいつの相棒が竜のラルドだ」

 

晴哉は紹介に合わせてぺこりと頭を下げた。

 

「よろしくお願いします」

 

「…グルル……」 

 

ラルドが唸って威嚇するが、彼女はラルドに対して怖がるそぶりを見せず、それどころかニコリと笑い、ラルドの首下を撫でてラルドの機嫌を良くしている。そのまま、梨紅人は美夜の自己紹介をする。

 

「こっちは美夜と相棒のディアンだ」

 

「よろしく。堅苦しいのは好きじゃないから、普通に話していいよ」

 

美夜の自己紹介を聞いて再び一礼し、今度は銀の狼のディアンに逃げようとしたことへの謝罪をした。

 

「ところで、美夜と梨紅人はどんな関係なの?」

 

図星をさしてしまったのか、梨紅人は気まずそうに美夜とアイコンタクトをとり、重そうに口を開く。

 

「いつかバレると思ってたんだけど、美夜は俺の恋人なんだ」

 

「えっ!?彼女いたの!!?」

 

「お互いに隠れファンがいるみたいで、学校でも隠してたんだよね」

 

二人から衝撃の事実を突きつけられて、晴哉はぽかーんと数秒間、口をあけたままだった。

 

隠れファンは確かに二人ともいそうだけど、梨紅人に恋人がいたのか…。

 

学生生活でとても遅れをとっているような、そんな気がしてならなくなった。

 

「美夜はどうしてここにいるんだ?」

 

「今日の術のテストの練習をしに来たの。実技はあまり得意じゃないから」

 

「あまり暗い時間に出歩くなよ」

 

「放課後は忙しかったのよ、学校や寮の近くじゃ練習できないし」

 

「ま、確かにそうだよな」

 

そう言って少し間を置くと、梨紅人は嬉しそうに笑って口を開いた。

 

「なぁ、せっかくだし勝負でもしないか?」

 

晴哉と美夜は目を大きくした。梨紅人は急に行動を始めることが多いのだが、それは恋人に対しても変わらないようだ。いやいや、そもそも恋人になんて危険なことを言い出すんだ、と晴哉は心のうちで苦笑いをした。

 

 「いいだろ?ついでに、守りの手本を晴哉に見せたいしな」

 

梨紅人がそう言うと美夜は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにくすっと笑い返した。

 

「いいよ、最近そういうの全然やってないから、にぶっていたところなの」

 

唐突な誘いにも関わらず、当の本人は存外にも落ち着いていて、美夜の女性らしい容姿と中身にギャップを感じられた。そのためか、晴哉だけが驚きを隠せずうろたえていて、その場の雰囲気から浮いている。

 

「危ないよ!怪我したらどうするの!?」

 

「怪我を恐れて何ができるんだよ」

 

強気で答える梨紅人に、晴哉は言い返すことができなかった。美夜を見ても「怪我しないから大丈夫」と笑顔を向けられるだけ。危険を回避しようとする晴哉の意見は無に等しく、肯定する二人の勢いで勝負をすることになった。

 

お互いの相棒が姿を隠し、どこから現れるのかわからないスリル満点の状態で戦闘は開始した。

 

「美夜から来いよ」

 

「遠慮なくそうさせてもらうね」

 

美夜は髪を結んでいた髪紐をほどき、ひとつを長い鞭へと変化させた。これは竜術士特有の装飾武器だ。竜術士にとって、相棒と同じくらい価値がある。

 

竜術士には、ものを全く別のものへと変化させる能力があり、変化する先は使用するもの毎に異なる。装飾武器は作り手が少ないという理由で高価なものがほとんどだ。珍しいものでは、数段階変化するものも存在し、それらの価格は想像し難い。

 

装飾武器こと髪紐を鞭へと変化させた美夜は、梨紅人の足元を狙って勢いよく鞭を回す。

 

「はっ!」

 

「はずれ」

 

「えいっ!」

 

「またはずれ」

 

美夜は一生懸命、鞭を振っているが、梨紅人にとっては動きが遅いせいか余裕で避けられている。

 

「そんなに遅い攻撃当たるかよ。今度はこっちから行くぜ」

 

美夜の攻撃を全て避けた梨紅人は、戦闘時のみ着用している頭部のヘアピンを外し、そのピンを銃に変えると、それを躊躇なく美夜へ向ける。

 

「死なない程度にしてやるよ!」

 

そう言いつつも、梨紅人が容赦なく弾丸を打ち出すと、美夜は瞬時に鞭を盾の姿に変えて弾いた。傷一つ付かない盾を見る限りこちらの使い方がメインらしい。

 

「足が遅いからってナメないでね」

 

「へっ…それで満足するなよっ!」

 

梨紅人が手を仰ぐと手先から炎が現れ、いくつもの炎の球が美夜に向かって飛び交った。弾丸とは違い、上空や背後など見えない角度からも襲い掛かる。それを上手く避けながら再び鞭を振り炎を打ち消す彼女は女の子ながらもかっこよく見えた。

 

「きゃあっ!」

 

美夜の声とほぼ同時、鞭から外れた弾と彼女とがぶつかる瞬間にプシュン、という奇妙な音が鳴り響いた。よく見ると美夜を包み込むように彼女の周りが光っている。

 

これは一体…

 

「っさすが!すでに防御を施していたんだな」

 

梨紅人が、嬉しそうにそう言った。

 

「当然でしょ」

 

ちょっと威張ったように言う美夜。それに対する梨紅人の反応は軽々しく、緩む口元から不吉な印象を与えられた。

 

「何よ、その笑みは……何をするつもり?」

 

「さあ、何でしょう?」

 

梨紅人は再び黒い笑みを浮かべる。同時に美夜はびくりと体を凝縮させ足元に視線を落とした。

 

「…なっ、何よこれ!」

 

一歩後ずさる美夜の足元には巨大な紋様が浮かんでいる。しかもとんでもなく大きな炎の絵柄だ。

 

「もうすぐ一人前になるんだ。自分なりの大技を持ってないとな」

 

梨紅人はニッと笑顔を向けそれに答えるように美夜は微笑した。

 

「さすがって言いたいけど、梨紅人も物好きね」

 

そう言って美夜はその場にどうどうと構えた。

 

「物好きなのが俺だ。どうなっても知らないぞ!」

 

梨紅人はそのまま銃を上に向けた。そして今までとは違う銃声が発破音と共に響き渡り炎が美夜を包んだ。

 

 「美夜ーっ!!?」

 

見ていた晴哉は慌て、咄嗟にその影に向かって叫んだ。けれど梨紅人は余裕をこいたまま燃え盛る炎を見つめる。

 

「心配するな、あいつはそんなんじゃ死なねーよ」

 

落ち着いた声で晴哉に話しかける梨紅人の姿が現在の美夜の状況を全く感じさせない。

 

本当に大丈夫なのかな…?

 

少し時間が経過し、燃えていた炎が一層燃え上がって勢いを増したその瞬間。狼の遠吠えが響き、炎の内側から突風が吹きつけたかと思えば炎を全て消し去ってしまった。鎮火した後の砂浜は砂ぼこりと煙で霞みがかり視界が見えづらい。そんな中で微かに影が写り足音が鳴る。

 

「遅いんだよ、やっと本気になったか?」

 

梨紅人は影に向かって話しかける。

 

「本気じゃないのは梨紅人じゃないの?あんなもので大技なんてよく言えたものね。私たちもやるよ、ディアン!」

 

「承知した」

 

 美夜の右横にディアンが現れると、再び突風が吹きつけた。しかも今度の風は普通ではない。先程とは違って突き刺さるような冷たい風だ。ディアンが風を纏って走り出すと、風は輝きながら少しずつ姿を変え、牙をもつ大きな猛獣へと変化していった。ディアンはそのまま梨紅人へと突っ込んだ。

 

大きな爆風が巻き起こったが、梨紅人がいたその場所には何もなく突風を利用して高々とジャンプした梨紅人がディアンに銃を向けていた。銃声と共にディアンが倒れるのを見た美夜が目を見開く。

 

「ディアン!?」

 

美夜がディアンのところへ駆け寄ろうとした途端、煌々と光が発生し目の前に梨紅人が現れた。額に銃の先を突き付けられると身動きが取れなくなった。

 

「美夜の負けだ。」

 

美夜は数秒間無言になって、ゆっくりと口を開いた。

 

「………わかった。私の負けね。」

 

美夜が負けを認めたのを確認すると梨紅人は銃を元のピンの形に戻した。美夜はディアンに駆け寄った。

 

「ディアン…?」

 

美夜が見たディアンは、すやすやと気持ち良さそうに眠っていた。眠ってしまえばいくら狼でもただの犬と同等だ。

 

「ちゃんと死なない程度にって言っただろ?」

 

梨紅人はいたずらに笑う。

 

「楽しかったな、美夜!」

 

「楽しかったけど負けちゃった、悔しいな」

 

美夜は苦笑した。いつも通りの穏やかな表情に戻った梨紅人は、戦闘を見ていた晴哉へと視線を向けた。

 

「晴哉、ちゃんと見てたか?」

 

「見てたよ。だけど、護身術使わなかったね」

 

「あ、すっかり忘れてた…」

 

唖然とした表情を見せる梨紅人は、珍しく気が抜けていて面白かった。目的は忘れていたものの、梨紅人と美夜の対決の様子を見ていた晴哉は、まともに戦えるという面から2人に尊敬という言葉しか頭に残らなかった。

 

美夜が先に帰り、晴哉は改めて梨紅人から護身術を教えてもらうことになった。

 

「術の強度はその人の精神力や体力で左右されるから集中力を絶やすなよ」

 

「うん」

 

「じゃあ、あまり体力を使わないものを教えるぞ。紋様自体も簡単だから今から描く紋様は確実に頭に入れておけよ」

 

そう言って梨紅人は黙々と紋様を描き始める。簡単と言われたその紋様は晴哉が学校で習ったどの紋様よりも複雑だった。何かの守護神がモチーフなのだろうが、何が何なのかさっぱりわからない。術が使えることより、覚えられるかどうかのほうが心配だ。

 

晴哉は見よう見真似で梨紅人の描いた紋様を写した。

 

「難しい…どうやって描いたらいいの?」

 

「外側と内側を別ものだと思って描くんだ、分けて考えたら多少は単純になるだろう」

 

梨紅人からアドバイスをもらったはいいが、やはり難しい。仕方なくそのまま描き続け紋様を完成させた。

 

「できたよ。これをどうするの?」

 

 「描いたものの真ん中に立て」

 

晴哉は自分の描いた紋様の真ん中に立つ。

 

「ラルドはどうした?」

 

「え、ラルド?ラルドならさっきそこで寝て…」

 

「ピャ―――――ッ!!」

 

「うわぁぁああっ!!」

 

ラルドがいつの間にか真正面にいて思わず跳び上がる。この術を使うには自分の力だけでも大丈夫だが、竜の力を使うほうがより強力になる。練習段階では無駄に体力を消耗するよりは相棒の力を借りたほうが良いらしい。

 

「小さいままでいいかな?」

 

「駄目だろ、ちゃんと元の姿に戻してやれ」

 

「はい」

 

小さいサイズになっていたラルドを嫌々元の大きさに戻るよう指示すると。ぬいぐるみのようだったラルドの体はみるみるうちに大きくなり晴哉が見上げなければならないほどの大きさになった。元に戻ったラルドは晴哉の何倍もの大きさだ。

 

…やっぱりデカイ。

 

「あーこっちのほうが楽だぜ~、サンキューハルヤ!!」

 

相当嬉しかったのだろう。ラルドは喜んで飛び回った。改めてラルドと共に紋様の中心で立つと、梨紅人が言った通りの文字を頭に浮かべた。生半可のままやりくりして出来た防御は半透明で、誰が見ても守りを固めているのがすぐにわかるほど、つたないものだ。

 

「……失敗だね」

 

「最初にしては良い方じゃないか?」

 

「でもこれじゃバレバレだね」

 

「バレるかバレないかより作れるか作れないかのほうが大事だろ?作れたならそれでいいんだ。次はもう少し純度の高い防御壁を作ることが目標だな」

 

「うん、そうだね」

 

今は描けるようになることが目標か。因みに、術は使う対象の場所に文様を思い浮かべることができれば描かずとも使うことができる。それができるようになるのが最終の目標だ。まだ活用には程遠いが、地道にやるしかない。今回はこれで引き上げることとなった。

 

「そろそろ学校だし、帰るか」

 

「そうだね、担任ウザいし…」

 

「それは禁句だ」

 

先生から良い待遇ばかりを受けている梨紅人でさえ目に余るという晴哉の担任教師。彼からもまた振り回されることを覚悟し、晴哉達は急いで学校へ向かった。

 

 

 

チャイムが鳴るまであと一分、ギリギリのところで教室に飛び込んだ。

 

「…よかった……」

 

今日は絶対にへこたれないぞ!!

 

そう思って席に着こうとしたその時、健矢が声をかけてきた。

 

「遅ぇんだよ、何してたんだ!」

 

はぁ?また課題を見せろってか?

 

健矢を無視して席に向かおうとすると、健矢は再び正面に立って晴哉を睨んできた。

 

「おい!!シカトすんなよ!!」

 

「うるさいなー」

 

強気で健矢に言い返す。

 

「こいつ…!!」

 

「うわっ!!」

 

胸倉を掴まれ、少し身震いしたものの、気に圧倒されないように健矢を睨み返す。

 

「僕はお前なんかに負けないって決めたんだ!!」

 

そう言って晴哉は健矢の腹に蹴りを入れた。

 

「痛っ!!」

 

「いてっ!」

 

健矢が掴んでいた手を離したため、晴哉は床で尻餅をついた。そのまま逃げるようにして自分の席につくと、追おうとした彼は友人に止められて諦めたようだ。

 

恐かった。とても恐かった。何をしても必ず圧倒されてきた相手に反撃することが。今日一日は要注意だ。

 

授業合間の休み時間。晴哉は親友の眼帯少年、帆並久良とのんびり話をしていた。久良は女の子のような深紫色のショートカット、右目は真っ黒の眼帯、左目はアメジストの宝石のような澄んだ紫色だ。晴哉と同じく小柄で、髪も含めてよく女の子と間違えられるらしい。性格はとてものんびり屋さんだ。その穏やかさから彼もまた晴哉の心の支えの一部となっている。

 

「晴哉、今日は何か良いことでもあった?」

 

「ううん、何にもないよ。」

 

「そうかなぁ~。今朝、謙馬に反撃してたのって、晴哉じゃなかったっけ?」

 

「それ、僕であってるよ」

 

「じゃあ、急にどうしたのさ」

 

「梨紅人からそのままだと危ないって注意されちゃってさ、パシリは卒業するって決めたんだ」

 

「そうなのか、健矢は育ちが育ちだから苦労しそうだね。頑張れ。俺も何か協力できることがあったら協力するから」

 

「ありがとう久良」

 

 

 

 学校が終わり帰ろうとしたところ、またもや健矢に捕まった。久良も一緒にいたのだが、久良は廊下に蹴り飛ばされ、晴哉は逃げないように襟の後ろ側を掴まえられた。掴んだのが胸倉ではなく、襟の後ろ側なのは、おそらくまた蹴られないようにするためだろう。

 

 なんだ、結構弱気じゃん。

 

「何?俺は何もしてないよ」

 

気を緩めていると、廊下から久良の声が聞こえてきた。よく聞いてみると重たいものを引きずるような音が混じっている。

 

もしかして、シュラか…?

 

少しの不安が脳裏を過ぎる。自分を縛りあげようとした白蛇が久良の目の前にいる。そう思うと、僕はいてもたってもいられなくなった。

 

「久良!!」 

 

健矢の手を振りほどこうとジタバタするが、彼の怪力に勝てるはずもなく、後ろから蹴りを入れられる。

 

「暴れんなっつーの!!」

 

少し痛いけれど、久良のことが心配だ。晴哉は外の様子を伺うことに集中した。

 

「健矢の友達かな?」

 

ゆっくりと問う久良。

 

「へっ、友達なんかじゃないわ」

 

友達じゃないんだ……。

 

 「よくわからないよ」

 

久良はいつものようにのんびり話す。

 

「その話し方、嫌いだのー」

 

「ごめん」

 

少しだけシュラがイラついているような気がする。この状況でゆっくり話すその声は恐がることを知らない。

 

「遅いと、こうだわ」

 

巻き付く音が鳴った。一瞬だけ苦しそうに喘いだ久良だったが、じっと耐えているようだ。

 

「あいつも昨日のお前と同じようにしてやろうか?」

 

蹴っていた足を止めた健矢が僕の耳元で囁いた。

 

「駄目!!」

 

「お前の言うことなんか、知らねぇよ!」

 

笑いながら健矢は言った。そして、健矢がシュラに指示を送る前からシュラは久良を縛りあげた。ギリギリまで音を上げずに気を失った久良はその場でぱたりと倒れ込んだ。

 

「久良―ッ!!」

 

健矢は満足気に笑うと、晴哉を壁際に投げ飛ばした。久良に手を出したことで晴哉は怒りを露わにした。歯を食いしばり、目つきがキッっと変わった。

 

「久良になんてことをした!」

 

「気絶してるだけだろう、なに怒ってんだよ」

 

軽々しい態度の健矢を見てますます怒りが募る。

 

「ラルド、出てきて」

 

「出番だな!」

 

晴哉はラルドに指示を送った。ラルドは自らの尻尾を健矢に叩きつけた。見事に当たった健矢は教室の端まで飛んで行った。少し壁を壊した程度だったが、人体には相当ダメージがあったはず。そう思っていたのだが、頑丈な彼は苦も無く立ち上がり埃をはたきながら歩み寄る。

 

「いってぇ、ぜってー許さねぇ!!いい子ぶってたのはどうしたんだよ!俺は教師だって味方についてるんだぜ?そんなんでこの学校にいられると思ってんのか?」

 

確かに彼は教師と仲が良い。だが今は校則なんて関係ない。少しでも仕返しがしたいのだ。

 

「だからどうしたの、僕は怒ってるんだ」

 

「こいつ…!」

 

健矢は立ち上がって晴哉に殴りかかった。うっかり挑発してしまったことに、はっとしたが既に遅し、ラルドはシュラに邪魔され、晴哉を庇う暇はないようだ。

 

「運が悪かったな!」

 

「いっ.....っ!!!」

 

今まで食らってきたパンチよりも強いものが腹を圧迫した。息を詰まらせて悶えていると、晴哉の後ろ襟に手を回し、掴んでいる手をそのまま上に掲げた。

 

「絞まる!苦しい!」

 

首が締め上げられるのを、必死にもがいて抵抗する。だが、健矢は一向に手を離す気配はない。

 

「弱虫が俺に刃向かうなって、前にも言っただろうが!!」

 

「たすけて…」

 

ひゅうっと首が絞まり、晴哉の意識は遠退いてきた。

 

「お前みたいな奴はこの世にいない方がいいんだよ!」

 

こいつ、本当に僕を殺す気だ。

 

「…だ……誰…か………」

 

誰か………助けて………っ!

 

「バイバイ。弱虫な晴哉君。」

 

「…………」

 

健矢に首を絞められたまま晴哉は意識を失った。

 

 

 

 明るい……あれ?生きてる…? 

 

 電気が点いていて、寝たままでも壁の両端が見える。教室じゃない。ぼーっとしつつも起き上がるとそこは寮の部屋だった。

 

「起きたか?」

 

梨紅人がこちらに歩み寄り、晴哉の顔をじっと覗き込んだ。

 

「顔色も良さそう、大丈夫だな」

 

安堵した表情でニコニコしている梨紅人を見たのが久々で、なんだか気恥ずかしい。梨紅人によると、晴哉が気を失った後、帰りが遅いのを不審に思った梨紅人が様子を伺いに行き、そこで健矢が床に倒れている晴哉を見ながら言葉を失っていたそう。廊下ではラルドとシュラが暴れていて、フェルが割って入って止めたらしい。その後すぐに晴哉を連れて帰ってきたそうだ。

 

「久良は?」

 

「あいつは部屋に戻って来たとき扉の前にいたぞ。助けを求めに来たみたいだったけれど、入れ違いだったな」

 

久良は早く気が付いたのか。無事で何よりだが、念のため後で顔だけでも見に行こう。それにしても、健矢の悪行には腹が立つ。彼は限度を知らないのだろうか。今回も死なずに済んだだけあって、次はもっと酷いことをやってくるに違いない。

 

「ねぇ、梨紅人。そろそろ健矢に釘を刺さなきゃ、また何かやってくるかもしれないよ」

 

「そうだな…こんなにすぐ問題が起こったとなると、術が使えるのも待っていられないしな。右腕が使えればまた違うんだろうが」

 

いっそのこと、打ち明けて精神面に打撃を与えるほうが良いのではないのだろうか、と脳裏を過った。でもそれだけじゃ、インパクトが足りない。もっと良い方法は…。

 

「晴哉、今後は俺が迎えに行く」 

 

「待って、それだけはお子様みたいで嫌だ」

 

「晴哉から不安を打ち明けて来たんだろう。嫌でもやるぞ」

 

「嫌だ!来ないで!」

 

「じゃあフェルに見張りを…」

 

「もっとやめて!!」

 

梨紅人やフェルがいたら確かに安心なのだが、根本的に解決できない。ラルドは暴れられても困るからと出現しないように言いつけてあるし。

 

「やっぱり、今は今のままで耐えるよ。朝の練習だけ付き合って」

 

梨紅人から本当に大丈夫なのかという顔をされたが、それ以上は何も言ってこなかった。

 

 

 

 晴哉が目の前で気を失ったのが効いたのか、それから数日間は健矢が大人しかった。課題をやってこないのは相変わらずだったが。今のうちにと練習を積み重ねていた朝、晴哉は漸くそれらしき防御ができるようになっていた。

 

「これは、出来たのかな?わわっ!?」

 

 どれどれ、と言わんばかりに梨紅人はヘアピンを銃に変え、晴哉へ向けて発砲した。銃弾は防御璧に当たると見事に跳ね返され、地面に小さな穴を作った。

 

「ばっちりだ!これで安心だな、よくやったな!」

 

ついに完成した透明な球体の防御を見ながら梨紅人が晴哉をおおげさなくらいに褒めたたえる。

 

「これからはいじめられそうになったら使えよ?」

 

「うん!」

 

これで健矢に負けないぞ!!

 

「じゃあ次は…」

 

「まだあるの!?」

 

「これだけだと思ったら大間違いだぞ」

 

冗談を言っているようには思えない。彼の仄かに灯る視線からも、嘘ではないことが伺えた。これからも晴哉の朝練は続くようだった。

 

 

 

 その晩のことだ、いつものように晴哉と梨紅人が緩い会話をしていると、扉をノックする音が聞こた。扉を開けると、ふわりと甘い香りが風と一緒に流れ込んできて見覚えのある姿が現れた。相変わらずの見とれてしまう容姿に対し、晴哉は一瞬、目のやり場を探す。

 

「こんばんは、元気?」

 

 どうして美夜がここへ?と思って梨紅人に顔を向けると、何故か彼から笑みを向けられた。

 

「晴哉君に渡したいものがあって、持ってきたの」

 

はい、と手渡されたのは、ラルドに似たエメラルドグリーンのストールだ。

 

「これは特殊な生地のストールだよ」

 

受け取ると、すぐに晴哉の右腕の周りへと巻き付き驚いているうちに、あっという間に見えなくなってしまった。一体何だったんだ。

 

「あれは医療に使われる竜術士の装飾品だよ。必要だと思って作ったの」

 

作った?今、作ったって言ったよね?

 

「驚くのはまだ早いよ。腕を動かしてみて」

 

まさか、と思いつつ意識を集中してみると、動かないと思っていた右腕が動いた。

 

動いた…!?なんで!?!??

 

驚愕のあまり言葉を失っていると梨紅人からポンッと背中を叩かれた。

 

「驚いただろ?俺もまさかこんなものがあるなんて知らなかったんだ。よかったな!」

 

美夜の実家は装飾武器のお店で、彼女自身も様々なものが作れるらしい。

 

感覚までは戻らず、自分の手じゃないような錯覚を覚えてしまうが、それでも腕が動いてる事実に変わりはない。少し目を潤ませながら、晴哉は深々と頭を下げて美夜に御礼を告げた。

 

「どういたしまして。使いすぎると実物が出てきちゃうから注意してね。それと、請求書は梨紅人に贈るね」

 

「後半の冗談はやめてくれ」

 

サァッと血の気が引いたような梨紅人の表情からして相当な金額らしい。そんな彼を見ながら美夜はくすくすと笑っていた。彼女は見た目以上にお茶目なようだ。

 

知り合いから恩人へと変わった美夜が帰っていくと、梨紅人は悔しそうにボソッと呟いた。

 

「美夜に負けたな」と。

 

これまで兄的な立場を負ってきたせいか、譲れないものがあったのだろう。彼が美夜に相談したのは確かだろうに。

 

 翌日、いつもと同じように健矢から課題のノートを奪い取られかけた。しかし、健矢はピタリとその動きを止めた。なんだか不審そうに晴哉を見渡し、舌打ちをすると訳も分からず蹴りを繰り出した。咄嗟に練習を積み重ねた防御をすると、さらにイライラを増した様子でこちらを睨み付ける。特に、右腕をじっと。

 

「おい、腕はどうした。何故動いてやがる」

 

知ってたのか、と思いつつ、晴哉は答える。

 

「動くようにしてもらったんだよ」

 

「梨紅人か」

 

「ううん、別の人だよ」

 

 不満そうにこちらを眺める健矢は、苛立ちをぶつけるように晴哉へ殴りかかる。だが、再び防御をやってみせると、健矢は苛立ちを見せつつも戦意を消した。これはいい流れだ。晴哉は続けて問い詰めた。

 

「健矢のせいでしばらく障害者生活だったけど、知ってたんだね」

 

「何の話だよ」

 

「本当は、自覚してたのにずっと意地悪してきて、何がしたかったの?」

 

「うるせぇな」

 

答えてよ。場合によっては許してあげるのに。

 

なんて今までの悪行に対して良心的な本音を言えるはずもなく、晴哉は健矢の返事を待った。その横から、唐突にシュラが現れた。

 

「言えばいいだろう、本当は怪我してないことを願ってたとな」

 

「余計な事言うんじゃねぇ」

 

「へっ、素直じゃないのー」

 

健矢と口論しただけでシュラは消えた。

 

なんだ、ただのツンデレか。理解ある相棒を持って良かったな。

 

「確認するためにずっと暴力を振るってきたの?」

 

「うるせぇっつってんだろ」

 

気づけば周りに生徒が増えていて、晴哉と健矢は教室中の生徒から注目を浴びていた。それに気づいた健矢は、舌打ちだけするとその場を離れていった。

 

それからというもの、何日経とうとも健矢が晴哉に無意味な暴力や嫌がらせをすることは無くなった。その代り、健矢が課題をやってこないのは変わらず、彼が教師から叱られることが増えていった。

 

やってこないんじゃなくて、わからなくてできないのでは…?

 

なんて考えが思い浮かんで来た頃、健矢から晴哉の近くへとやってくるようになった。

 

「おい、教えろ」

 

「はいはい」

 

 相変わらず課題にこき使われている。その事実は変わりないのだが、これなら良いだろう。教え方が下手くそだのなんだの言われ、口論しながらもそれはこの先も続くようになった。

 

 仲直り、とは言えない。犬猿の仲というべきだろうか、相変わらず口喧嘩は続くし、性格も合わない。彼からの無意味な暴力は無くなったが、怒ると手が出ることは変わらない。だけど、健矢を悪い奴だとは思わなくなった。

 

 

 

 これが、"いじめっ子"という存在が消えた出来事だった。

 

 

 

 

 


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